ずんだもちの足るを知る日々

シンプルな生活を目指して一次産業に転職するアラフォーの日記

【書評】琥珀の夏(辻村深月)

独自の理念で子供を教育する団体「ミライの学校」。その夏合宿に、毎年一週間だけ参加していた少女ノリコ。30年後、ミライの学校の敷地から少女の遺体が発見される。弁護士になっていたノリコは、夏合宿で周囲に馴染めなかったときに声をかけてくれた少女、美夏を思い出す。団体に娘と孫を奪われたという老夫婦からの依頼をきっかけに団体と交渉する中で、かつての記憶が蘇っていく。

 

辻村深月の人間の感情の複雑さを言語化する力を改めて見せつけられた作品だ。

前作「かがみの孤城」は、思春期特有の悩みや、属する環境の見え方、大人をどんな目で見ているか等、読んでいて「そうそう!」と頷いたり、「そういうことだったのか!」と言葉にされたことでかつて自分が子供時代のもやもやした感情が腹落ちできたり、「よくそんな気持ちを覚えているな!」という驚きを多々味わう作品だった。

今作では、対象となる年齢層がさらに広くなる。小学校入学前から小学校4~6年生、そして40歳。どの年代の気持ちも、これでもか!というくらい丁寧に的確に表現している。

子どもたちだけで考え、生活することを教育の柱とする団体の中で、両親と暮らすこと願う少女の悲痛な祈り。崇高な意思を持った団体の中であっても生じてしまう俗世と変わらない人間の階層化。自然や、超然としているように見える大人に対する神格化が起こしてしまう事件。子ども時代の、女の子同士の憧れや嫉妬、自分より下に見ている相手への粗雑な扱いを、とても丁寧に表現していて、「ああ当時も言葉にできないけど、こんな風に感じてたんだ。」とやっぱり腹落ちできる。

40歳になり、夫婦ともに弁護士として娘を育てるノリコの生活も保育園が見つからないという切実な問題を抱えている。保育園が見つからなければ弁護士をやめなければいけないのか、自分の一生に関わってくるという大きな問題にも拘らず、どこか夫は理解していないように感じている。子どものことで休みを取るとか、仕事を諦めるのは最初から妻だけの問題のようにノリコは感じている。この切実さは都心で待機児童問題の渦中にある人たちの共通しているものなんだろう。著者自身の実体験なんだろう。共感すごいだろうな。ただ一方で、このことが女性目線だけで語られることには、いつもちょっと違和感を感じてしまうな残念だな、と思うところなんだけど、さすが辻村先生、そこもきちんと踏み込んでくれている。

鬼気迫るのは、夜のワンオペ育児。ママと得意な積木を見てもらいたい子どもと、それよりもちゃんとした晩ご飯を作らないといけないと思い込んで、追い詰められる母親。(ハンバーグなんて別にいらんよ!味噌汁さえあればいいのにと私は思ってしまう。)

こんな風に「ちゃんとしなきゃ」という母親は実際少なくないんだろう。なんでだろう。「手抜き」「簡単」と謳う料理本SNSの投稿でさえ、手が込んでるように見えるし、彩り豊かで美味しそうに見えてやっぱり「ちゃんと」してるように見えるからあんまり手抜きできる印象がないよね。下味付けて冷凍しておくだけ、とか袋のゴミ出るし、その手間が面倒。ご飯のハードルが高過ぎる、というのは本当に日本の病の一つだと思う。

それはそれとして。

辻村深月、いよいよ押しも押されぬ大御所への道を踏み出したなと感じた傑作でした。